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スリットガイド

スリット加工と紙の歴史

スリッターとは

紙とスリットの歴史とは?

スリットと言えば、「紙」。「紙」といえば「スリット」という事で、紙やスリットの歴史についてお伝えしていこうと思います。

 

紙の歴史は古い

日本に紙が伝来したのは卑弥呼の時代(3世紀頃)とする説があります。かなり昔から紙があったと言いますが、真相は定かではありません。所説あるようです。

日本で、本格的に紙がつくられ、利用されるようになったのは5~6世紀だと言われています。5~6世紀は仏教をはじめ大陸の文化や技術の交流が盛んになった時代です。

 

 

日本へ正式に、紙の製造法が伝わったのは、610年、高句麗の僧(曇徴)によるものとされています。

日本で製造された最古の紙は奈良県の正倉院にあります。

 

702年に作られたこの紙は、美濃(みの)・筑前(ちくぜん)・富前(ふぜん)で作られた十種で、楮※(こうぞ)を原料に作られています。

仏教を広めるために、紙が必要だったようです。キリスト教がひろまったのは、バイブル(聖書)があったからだと言われるように、紙の媒体がある事で、仏教も広まったと言えます。

 

世界最古の印刷物として有名な、「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだら)」は和紙の歴史の上で、重要な文化遺産です。教科書にも出てきますが、770年に、6年の歳月をかけて100万個もつくられたようです。

 

手書きでこの数を作ったのだから、ものすごい労力です^^;

今の時代なら、3日で作れます。

 

いつの時代にも、教えを広めるには、紙や本が必要だったわけです。つまり、紙は文化や道徳を支えているとも言えます。(言い過ぎですね)

 

日本と西洋の違いについて

日本と西洋の違い

西洋と東洋では、紙に求めらる品質が違いました。

中国や日本は、主な筆記具が筆と墨。西洋では、ペンで文字を書いて、保存をしていました。

そのため、紙に求められる性質が、東洋と西洋では異なっていました。

 

日本では9世紀初頭に確立したとされる「流し梳き」による薄手の紙が、楮や雁皮などをおもな原料として製造されていました。

これが、和紙です。

日本の和紙の製造は、原料をはじめその工程には紙質を良くするためのさまざまな工夫や改良が加えられてきました。

工程の機械化はされず、近代に西洋から洋紙の製紙技術が導入されるまで人の手によって、紙は作られていました。

 

江戸時代に成熟期を迎えた和紙の生産は、洋紙の製紙技術が導入され機械化が進む明治時代を経て、大正時代には衰退し、現在は日本国内の和紙の生産量は紙全体の0.3%程度となっています。

 

現代の紙は何から作られている?

現在では、木材の中から、細い繊維を取り出したパルプを原料として、紙を作っています。

つまり、木材から紙はできているわけです。

 

木材から作られるパルプには種類があります。針葉樹からつくったものと、広葉樹からつくったもの、大きくは、この2つに分かれます。

針葉樹とは、細長く硬い葉をつける、「マツ」や「スギ」などの樹木の事です。葉っぱが針のように細く、とがっているので、すぐに見分けがつきます。チクリと痛い葉っぱもあります(触るときは気を付けてください)

 

針葉樹の繊維は、広葉樹の繊維より長く繊維の絡み合いがしっかりしています。繊維が絡み合う事で、強く丈夫な紙をつくる事が出来るわけです。

 

 

大正時代の紙業界について

大正時代の紙業界について

大正3年(1914)の第一次世界大戦参戦によりヨーロッパなどからの紙・パルプの輸入が途絶えた結果、国内の製紙業界は好景気となりました。

中小資本の製紙会社が多数創業したのがこの時期です。

 

その後も関東大震災等で大正後期から昭和初期にかけて景気は悪化しました。

社会が混乱したが、民衆は社会の混乱の安息を雑誌などに求め、1冊1円の安価な全集ものが好評を博した『円本(えんぽん)ブーム』とも相まって、出版を通じて紙がよく売れるようになりました。

昭和初期には製紙工場がいくつも設立されるなど、製紙業界は不況の影響を比較的受けなかった。

 

戦後の紙業界とは?

戦後の紙業界とは

昭和16年(1941)に太平洋戦争が始まると、製紙は戦争には不要な産業と見なされて、比較的大きな工場は軍需工場に変えられた。

また、中小の工場は休業させられ、他の工場に統合されました。そのため、製紙産業は一時的に停滞しました。

 

しかし、戦争中、活字に飢えていた人々は、先を争うようにして雑誌や、雑誌などを買い求めました。情報が統制されていた中で、人々は、自由な表現と、活字の情報に飢えていたわけです。

 

 

終戦を迎えると

終戦を迎えると各産業の復興が始まりました。戦時の軍需工場や抄紙機の影響により、工場の復元作業からの立て直しとなりました。

全国的には戦火による工場の被害から復元に困難を要する企業が多く、貧困した会社が多かったようです。

 


戦後の出版ブーム

自由な表現を求めて

敗戦後の占領軍GHQによる「出版統制解除」の指令と「出版業の自由化」がはじまります。

このころ、日本に、多くの出版社が生まれています。出版社は数人の規模で作る事ができ、ブームもあって、多くの会社が生まれました。

 

出典:NHK

 

活字に飢えていた日本人は、むさぼるように、雑誌や文学誌を買いあさります。空前の出版ブームです。当時は、文学雑誌には、写真がなく、黒字のみで構成されていました。

今では、考えられません。

 

両面仙貨紙

原料のパルプが不足していたため、出版業界は供給を間に合わせるために、出版用としては紙質の落ちる仙貨紙(せんかし)を大量に用いました。

それまで「片面仙貨紙」のみであったが、昭和23年(1948)には両面仙貨紙が開発され人気になりました。


その後、しばらく景気の浮き沈みに各社は左右されながらも、昭和30年代を過ぎると全体的に安定した経営が保たれるようになった。

 

環境問題

の田子の浦港 ヘドロ

出典:NHK

 

ヘドロで魚が獲れなくなる

経済が成長してくると、問題になるのが、公害です。紙の業界による、公害として有名なのが、「田子の浦港のヘドロ」です。

田子の浦付近にあるおよそ150の製紙工場で処理されていない水が流れ込み、 海に、100万トンといわれるヘドロが溜まってしまいました。

 

田子の浦港のヘドロ

出典:NHK

昭和40年代の田子の浦港のヘドロは大きな社会問題とななりました。

 

行政機関の協力と業界の自主努力により、昭和50年代には一応の解決をみました。その後の製紙業界の環境に対する取組に大きな影響を与えた事件とも言えます。

 

今の日本は、このような歴史を経て発展をしてきました。

※昔は、環境に対してなど考えていなかったんですね^^;

 

 

スリット加工とは?

スリット加工は、第二次世界大戦前においては、紙を中心として手作業で行われていました。

 

しかし、戦後、「汎用樹脂フィルム・シート」の開発、生産が進みました。1958年にインスタントラーメンが誕生しました。

テレビという新しいメディアが誕生し、インスタントラーメンは大ヒットしました。

 

これを契機に、包装関連の機械化が一気に進み、国内の加工機械メーカーが競って機械開発、改良を行いました。

 

スリッター

 

省人化、自動化、高速化、衛生化、大量生産の高度成長期に入ったのです。

包装機械市場は、昭和35年(1960年)には40億円でしたが、昭和48年(1973年)には1,000億円に広がりました。

紙の業界は、経済成長と共に、急速な成長を遂げました。

 

スリット加工の歴史

スリット加工と経済成長

この経済成長を支えたのが、スリット加工です。

 

大量生産・効率化を図るフィルムをはじめとした製膜メーカーは「より幅広く」「より長く」生産していきました。

さらに、2次加工、3次加工メーカーは多種多様の指定幅、長さに加工するための技術を必要としました。

 

このような複雑化する要望の間には、スリット加工は必須の工程でした。包装業界が急成長を開始し、スリット加工に多くの需要が求められるようになりました。

 

昭和48年(1978年)の第一次オイルショックを境に、高度成長化から安定成長に移行し、生産現場はこれまでの重厚長大から軽薄短小へ、1品大量生産から、多種多様小ロット生産へと変わってきました。

 

これに伴って、各企業はそれに対応すべく体質改善を行い、品質管理(QC活動)が活発に行われるように。

このような中で、スリット加工は多品種小ロットに対応するために、これまで以上に重要な工程となりました。

 

 

平成元年(1988年)のバブル期には、包装機械市場は4,000億円を越えます。昭和35年(1960年)の40億円から考えると、100倍の成長となっています。

 

【参照】

富士市 製糸業の歴史>>

包装紙のモダニズム 金沢美術館>>

 

スリット加工をお考えなら、新井ロー加工紙工業にお任せくださいませ。

 

 

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対応資材・エリアについて

全国でに、新井ロー加工紙では全国でスリット加工をしております。

包装用紙、メディカル製品、不織布素材、ウエットタオル、フィルター用、電池、食品保護、出荷資材、特殊材料など、加工依頼、ご相談などお気軽にご連絡くださいませ。

 

【東京都の対応地域】

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【全国で対応しております】

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