history of paper
紙の歴史とは
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紙の歴史とは

紙は、紀元前2世紀頃、中国で発明されたと考えられています。
紀元前150年頃のものとされる「放馬灘紙」で、地図が描かれていました。日本に伝わったのは600年頃と言われています。さらに、イスラム帝国、ヨーロッパを経て、今の紙に至っているようです。
そんな、ロマンのある「紙」ですが、その謎めいた歴史について見ていきましょう。
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紙が生まれる前、人々は身近にある自然の素材を記録媒体として活用していました。
それが変化したのは、105年あたりからと言われています。
「蔡倫(さいりん)」という宦官が製紙法を改良し、実用的な紙を作り出したとされています。
蔡倫(さいりん)とは?だれ?と思うかもしれません。
この蔡倫(さいりん)は、知の解放をした革命者でもあります。
紙の発明は中国の前漢時代に遡るとされていますが、その製紙法を改良し、実用的な紙の製造と普及に大きく貢献したのが、後漢時代の宦官である蔡倫(さいりん)です。
西暦105年
蔡倫は木の皮、麻のボロ、古くなった漁網といった廃棄物を利用して紙を製造し、和帝に献上しました。
蔡倫が革新的だったのは、それまでの高価な絹や重く扱いにくい竹簡・木簡に代わる、安価で加工しやすい素材に着目した点です。
彼は、これらの植物繊維を煮て柔らかくし、叩いてほぐし、水に溶かして「簀(す)」で漉き、乾燥させるという一連の製紙工程を確立しました。
この製法によって作られた紙は、薄く均質で書きやすかったため、「蔡侯紙(さいこうし)」と呼ばれ、宮中で広く用いられるようになりました。

蔡倫の製紙技術は、単に紙を作るだけでなく、「知の民主化」の第一歩とも言える大きな影響を与えました。
それまで、一部の支配階級のものだった文字や知識、記録が、より多くの人々の手に届くようになったのです。
彼の製紙法は、その後シルクロードを通じてイスラム世界、そしてヨーロッパへと伝わり、世界の文化と学問の発展に計り知れない貢献をしました。
蔡倫は、紙の守護神として崇拝されるほど、中国の製紙職人たちから尊敬されています。
・蔡倫が作った ・文字が伝わるように ・知の民主化がおこる |

日本には、610年に高句麗の僧である曇徴(どんちょう)が日本に製紙法を伝えたとされています。
この時期、日本では仏教が盛んに信仰されており、経典の写経のために紙の需要が高まっていました
。伝来した製紙技術は、日本の風土や素材に合わせて独自の改良が加えられ、後の「和紙」として発展していく基礎が築かれました。当初は写経が主な用途でしたが、次第に公文書や文学作品にも使われるようになります。

8世紀になると、中国から製紙法が西アジアに伝わり、エジプトを経て地中海沿岸に広がっていきました。
特に751年に中央アジアで起こったタラス河畔の戦いが重要な契機となりました。
この戦いでアッバース朝(イスラム帝国)が唐に勝利し、捕虜となった唐の兵士の中に製紙職人が含まれていました。
捕虜となった製紙職人たちは、サマルカンド(現在のウズベキスタン)に連れて行かれ、そこでイスラム世界初の製紙工場が建設されました。
これにより、中国で厳重に守られていた製紙技術がイスラム世界に伝わり、急速に広まることになります。
イスラム世界では、麻などを原料とした高品質な紙が生産され、バグダッド、ダマスカス、カイロといった主要都市に製紙工場が次々と建設されました。
紙はイスラム文化圏で主要な筆記媒体となり、学問や科学、文学の発展を大きく後押ししました。

12世紀以降になると、ヨーロッパへ製紙法が伝わりました。
イスラム世界で発展した製紙技術は、その後、ヨーロッパへと伝わっていきます。
・1109年 シチリアで紙に書かれた最古と考えられる文献 (Mandato di Adelasia)
・1225年 フランスで最古の紙に書かれた文献
が見つかっている事から、この時期に製紙法が伝わったとされています。
経路は、イスラム勢力が支配していたイベリア半島(現在のスペイン)と、十字軍を通じて中東からイタリアへという二つのルートが考えられます。
12世紀頃になると、ヨーロッパで最初の製紙工場がイベリア半島に建設されたとされています。
これは、イスラム文化圏との交流を通じて技術がもたらされた結果です。
当初はイスラム世界の紙が、ヨーロッパに輸出されていましたが、やがてヨーロッパ内部でも製紙が本格化していきます。

12世紀から13世紀にかけて、イタリアでも製紙業が盛んになり始め、その後、フランス、ドイツなどヨーロッパ各地へと製紙技術が広まっていきました。
この紙の伝播は、ルネサンス期の文化や活版印刷の発明(15世紀)と相まっていきます。
ヨーロッパにおける知識の普及と学術の発展に不可欠な基盤を提供することになります。紙があったおかげで、知識を広く、伝達・共有できるようになりました。
このように、610年から12世紀までの約600年間は、紙が東アジアの枠を超え、世界的な記録媒体としてその地位を確立していく、まさに「紙のグローバル化」の時代であったと言えるでしょう。
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・中国から世界へ広がる ・日本は6世紀に伝わる ・ヨーロッパは12世紀に |

紙の製法が日本に伝えられたのは、610年に高句麗の僧である「曇徴(どんちょう)」によるとされています。
その後、日本独自の改良が加えられ、美しい「和紙」が発展していきました。
当初は、仏教経典の「写経」に用いられました。
平安時代には貴族の間で和歌や漢詩、書道などに使われるようになりました。
平安時代には、質の良い雁皮紙(がんぴし)の利用が広まり、京都には官立の製紙工場である「紙屋院(かみやいん)」も建てられました。
鎌倉時代から室町時代にかけては、公家や武士階級にも広がり、公文書や書簡などの用途が増えました。

江戸時代になると、紙は庶民の間にも普及しました。
庶民の間にも「和紙」が普及し、生活用品(障子紙、提灯など)や芸術作品(浮世絵など)といった、さまざまな用途に使われるようになりました。
この時代には
・美濃紙(みのし)
・越前和紙(えちぜんわし)
・土佐和紙(とさわし)
など、各地で独自の製法が発展し、それぞれの地域で特色ある和紙が生産されるようになりました。

「美濃紙(みのわし)」は岐阜県美濃地方で作られる和紙で、1300年以上の歴史を持ます。薄くて丈夫で光を柔らかく通す特性から古くより障子紙として広く用いられてきました。
機械漉きや手漉き、原料や製法など様々な種類があります。
美濃紙は、薄くて丈夫、ムラがなく、柔らかい風合いが特徴です。岐阜県で和紙の産地として有名なのは、関市寺尾となっています。
水が違うと和紙の質も大きく変わってくるため、産地によって製品の風合いに微妙な違いが現れます。

「越前和紙」は福井県越前地方で生産され、約1500年の歴史を誇り、独自の漉き技法によって強靭で美しい紙質が生まれ、奈良時代以降は公文書や貨幣用紙など重要な用途にも使われてきました。

「土佐和紙」は高知県で作られ、湿度の高い土地柄を生かして極めて薄く、かつ丈夫な紙を漉く技術が発達し、透けるほど薄い「典具帖紙」や補修用の「雁皮紙」などが有名で、文化財や古文書の修復にも多く用いられています。このように美濃紙・越前和紙・土佐和紙はいずれも長い歴史と高度な技法を持ちながらも、産地の気候や伝統的な用途の違いによって、それぞれ独自の特徴と役割を育んで行きました。
明治時代以降、西洋紙の導入が進むも、和紙は伝統工芸品として現在でも文化財の修復や工芸品、書道などに用いられています。
・写経で利用される ・平安時代に貴族が利用 ・江戸時代に庶民にも普及 |

紙がなかった時代は、粘土板や壁画に歴史などを書いていました。
エジプトなどを見ると、ファラオの壁画など文化的な遺産が数多く残っています。
紙が生まれる前、人々は身近にある自然の素材を記録媒体として活用していたようです。

古代エジプトでは、ナイル川流域に自生する「パピルス草」の茎を薄く裂き、縦横に並べて圧力をかけて乾燥させた「パピルス」が使われました。
これは軽くて丈夫であり、巻物状にして多くの情報を記録することができました。
メソポタミア文明では、柔らかい粘土を板状にした「粘土板」に、葦の茎などで楔形文字を刻み、乾燥させたり焼いたりして保存しました。
これは非常に耐久性があり、数千年を経た現在でも多くの粘土板が発見され、当時の文明の様子を伝えています。
ヨーロッパや小アジアでは、羊や山羊、子牛などの動物の皮を加工した「羊皮紙(パーチメント)」が広く用いられました。
羊皮紙は丈夫で折り曲げにも強く、冊子状に綴じることができたため、聖書や法律書など重要な文書の記録に適していました。
しかし
その製造には手間とコストがかかり、非常に高価なものでした。

中国や日本では、木や竹を薄く削って作った「木簡(もっかん)」や「竹簡(ちくかん)」が使われました。
これらは、紐で束ねて使われることが多く、行政文書や書簡、文学作品など幅広い用途で利用されました。
日本でも奈良の平城京跡などから、多くの木簡が発掘されています。
当時の人々の暮らしや文化を知る貴重な手がかりとなっています。
・パピルス(エジプト): 紀元前3000年代から使われた、カヤツリグサ科の水草の茎を薄く切って重ねたもの。
・粘土板(メソポタミア): 柔らかい粘土に文字を刻み、乾燥させたり焼いたりして保存。
・羊皮紙(ヨーロッパ、小アジア): 羊や山羊などの皮を加工したもの。丈夫で美しかったが高価。
・ 木簡・竹簡(中国、日本): 木や竹の札に文字を記したもの。
このように、紙が発明される前は、色々な素材を使い、文化と知を継承してきた歴史があります。
紙を調べてみると、意外と面白い発見があります。
・身の回りにある素材に記述をした ・手間がかからない素材に変化 ・当時の暮らしを知る手がかりに |

紙の歴史については、いかがでしたか?
紙が出来てから、実は、まだ日が浅い。という事が分かったかもしれません。
近年では、テクノロジーが急速に発展をして、紙から電子媒体に変化をしています。
しかし
紙は、情報を伝達する手段、共有する手段としては、いまだに優れています。
チラシ、パンフレット、リーフレットと、紙は、まだまだ利用されていくと考えられます。
時代が変われば、情報を残す方法は変化していきます。
紙の進化は、ひとまず終わりに近いですが、人間は進化していきます。
お時間があれば、また子のサイトに遊びにきてください。
最後まで読んでいた気、ありがとうございます。
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現代はスマホで情報を取り、電車の中でさえ、歩いているときでさえ、スマホをみています。
しかし、その歴史は、短く、スマホがなかった時代までは、文字を伝える手段は、圧倒的に「紙」でした。そんな、紙ですが、日本の紙文化は、長い歴史を通じて技術と芸術が交錯し、独自の進化を遂げてきました。
古代から現代に至るまで、紙は単なる記録手段を超え、文化を反映する重要な存在として発展しています。
今回は、日本の「紙」、その歴史について書いてみました。

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