history of paper

紙がなかった時代

紙のない時代

パピルス紙

紙の歴史について知ろう

現在では当たり前のように使われている紙ですが、人類の歴史の大半では紙という素材は存在していませんでした。

昔は、記録や情報の伝達は、石や木片、竹簡、粘土板、獣骨や貝殻など、地域ごとの自然素材を使っていました。

これらの素材は丈夫ではあるものの、持ち運びや保存には不便であり、人々はより扱いやすく保存性の高い書写材料を求めて発展を続けていきました。

そんな、ロマンのある「紙」ですが、その謎めいた歴史について見ていきましょう。

 

コンテンツ

1.【歴史】紙がなかった時代

2.【世界】パピルス紙と羊皮紙

3.【歴史】羊皮紙とは

4.【パピルス】とは何か?

5.【日本】紙がなかった時代

6.【和紙】紙がなかった時代から和紙へ

 

1.紙がなかった時代

壁画 ファラオ

身近な素材に記録をしていた

紙がなかった時代に、文字や歴史をどのように伝えていったのでしょうか?

紙がなかった時代は、「木の葉」や「樹皮」、「石」、「皮」に文字を書いていました。

さらに、地域によっては粘土板や竹簡、骨や貝殻なども利用され、それぞれの自然環境に適した素材が工夫されてきました。

こうした素材は重く扱いづらいものも多く、大量の情報を残すには限界がありましたが、それでも人々は記録を後世に伝えるために努力を重ねてきたのです。

 

エジプトなどを見ると、ファラオの功績や神話を描いた壁画やヒエログリフ(象形文字)など、文化的な遺産が数多く残っています。

壁画や彫刻は耐久性が高く、現代まで失われずに伝わった貴重な記録媒体となっています。紙が生まれる前、人々は身近にある自然の素材を記録媒体として活用し、社会や文化を未来へ伝えるために多様な工夫を凝らしてきたのです。

 

さらに加えて、口承による伝承も重要な役割を果たしていました。

紙や記録媒体が限られていた時代、人々は歌や物語として出来事や神話を語り継ぎ、記憶によって文化や歴史を守ってきたのです。

 

 

2.パピルス紙と羊皮紙

パピルス紙

パピルス紙とは

古代エジプトでは、ナイル川流域に自生する「パピルス草」の茎を薄く裂き、縦横に並べて圧力をかけて乾燥させた「パピルス」が使われました。

 

これは軽くて丈夫であり、巻物状にして多くの情報を記録することができました

メソポタミア文明では、柔らかい粘土を板状にした「粘土板」に、葦の茎などで楔形文字を刻み、乾燥させたり焼いたりして保存しました。

これは非常に耐久性があり、数千年を経た現在でも多くの粘土板が発見され、当時の文明の様子を伝えています。

 

羊皮紙

ヨーロッパや小アジアでは、羊や山羊、子牛などの動物の皮を加工した「羊皮紙(パーチメント)」が広く用いられました。

羊皮紙は丈夫で折り曲げにも強い。という特徴がありました。

冊子状に綴じることができたため、聖書や法律書など重要な文書の記録に適していました。

しかし

その製造には手間とコストがかかり、非常に高価なものでした。

 

 

3.羊皮紙とは

羊皮紙とは

羊皮紙とは

羊皮紙(ようひし、パーチメント)は、羊や山羊、子牛などの皮をなめして作られた書写材料で、紙が普及する以前のヨーロッパや中東地域で広く用いられました。

 

羊皮紙の特徴としてまず挙げられるのは、その耐久性の高さです。

植物繊維でできた紙に比べて非常に丈夫で、湿気や虫害にも比較的強いため、長期保存が求められる聖書や公文書、契約書などに多く使われました。

また、両面に文字を書けること、繰り返し削って書き直すこと(パリンプセスト)が可能であることも大きな利点でした。 羊皮紙の歴史は古代にさかのぼります。

 

紀元前2世紀頃、エジプトのアレクサンドリア図書館との書物の供給競争の中で、現在のトルコ・ベルガモン(ペルガモン)で製法が発達したとされます。

これが「パーチメント(Pergament)」の語源です。

 

その後、ローマ帝国や中世ヨーロッパの修道院などで重要な書物や装飾写本の製作に用いられ、文化や宗教の発展を支える重要な媒体となりました。

中世後期以降、安価で大量生産が可能な紙が普及すると羊皮紙の使用は減少しましたが、その耐久性から現在でも憲法や重要な記録の保存に用いられることがあります。

羊皮紙は、美しい光沢と独特の質感を持ち、今もなお書写材料としての高い価値が認められています。

 

 

4.パピルスとは

パピルスとは

古代エジプトで使われていたことで有名なパピルスは、ナイル川流域に自生していたパピルスという多年草の茎を材料として作られました。

まず茎の外皮を取り除き、中の柔らかい部分を薄く細長く裂き、それらを縦方向に並べた上に、今度は横方向に交差させるように重ねます。

こうして格子状に組み合わせた繊維に圧力をかけながら水分をしっかりと脱水し、最後に日光で乾燥させることで一枚の紙状の素材が完成しました。

このパピルスは古代エジプトの人々にとって文字や絵を記録するための重要な書写材料であり、行政文書や宗教文書、書簡などさまざまな用途に広く用いられ、後世の紙の原型ともいえる存在となりました。

 

 

「paper」の語源

パピルスは、古代エジプトで紀元前3000年頃から使われ始めた書写材料で、英語の「paper」の語源ともなっています。

パピルス草の茎を加工して作られ、巻物として利用されました。

羊皮紙が登場するまで、エジプトを中心に広く使われましたが、湿気に弱くもろいという欠点がありました。

 

1.パピルスの特徴

軽くて持ち運びやすく、表面も滑らかで書きやすいため、石や粘土板に比べて優れた筆記媒体でした

 

2.利用方法

古代エジプトでは、神聖文字(ヒエログリフ)、神官文字(ヒエラティック)、民衆文字(デモティック)、ギリシャ文字などで文字が書かれました

 

3.衰退

エジプトから地中海沿岸、メソポタミアの国々で広く使われましたが、湿気に弱く、羊皮紙や紙の登場によって次第に衰退しました。

 

 

5.紙がなかった時代の日本

木簡

中国や日本では、木や竹を薄く削って作った「木簡(もっかん)」や「竹簡(ちくかん)」が使われました。

これらは、紐で束ねて使われることが多く、行政文書や書簡、文学作品など幅広い用途で利用されました。

日本でも奈良の平城京跡などから、多くの木簡が発掘されています。

当時の人々の暮らしや文化を知る貴重な手がかりとなっています。

 

・パピルス(エジプト): 紀元前3000年代から使われた、カヤツリグサ科の水草の茎を薄く切って重ねたもの。

・粘土板(メソポタミア): 柔らかい粘土に文字を刻み、乾燥させたり焼いたりして保存。

・羊皮紙(ヨーロッパ、小アジア): 羊や山羊などの皮を加工したもの。丈夫で美しかったが高価。

・ 木簡・竹簡(中国、日本): 木や竹の札に文字を記したもの。

 

このように、紙が発明される前は、色々な素材を使い、文化と知を継承してきた歴史があります。

紙を調べてみると、意外と面白い発見があります。

 

・身の回りにある素材に記述をした

・手間がかからない素材に変化

・当時の暮らしを知る手がかりに

 

6.紙がなかった時代から和紙へ

始まりは木簡と竹簡

日本では、紙が中国から伝わる以前、木簡や竹簡に文字を記していました。 これらは細長く削った木の板や竹の札で、ひもでつなぎ合わせて使われていました。

 

重要な公文書や私的な記録、さらには役人の学習用教材としても広く利用されていました。 これらの筆記具は、奈良時代に紙が普及するまで日本の文字文化を支えていました

 

木簡や竹簡は、主に木材や竹を加工して作られています。

その表面に墨や筆で文字を書き込むことが一般的でした。特に、木簡は軽く扱いやすいので、持ち運びにも適していました。そのため、日常的なメモや伝達手段として重宝されました。

 

木簡

一方、竹簡は耐久性が高く、湿気のある環境でも比較的長持ちする特性がありました。

重要な記録を保存するのに適していました。

 

考古学的発掘では、木簡や竹簡から当時の社会構造や経済活動、政治的なやり取りがうかがえる貴重な資料が数多く発見されています。

 

東大寺 木簡

例えば、7世紀から8世紀にかけての東大寺や法隆寺周辺で出土した木簡には、寺院の運営に関する詳細な記録や、役人同士の連絡文が残されており、当時の生活や文化を垣間見ることができます。

 

また、これらの資料は単なる記録手段に留まらず、芸術的な書道の練習にも用いられ、後の和紙文化への橋渡し役ともなったと考えられています。

奈良時代に入ると、中国から伝わった紙が次第に普及し始め、木簡や竹簡の使用は徐々に減少していきました。

しかし、その後も地方ではしばらくの間、これらの伝統的な筆記具が併用され、特に農村部では簡易な記録に利用され続けました。

木簡と竹簡は、日本の文字文化の初期段階を支えただけでなく、後の紙文化の発展にも間接的に影響を与えた重要な存在と言えます。

 

憧れの唐紙、そして和紙の誕生へ

日本の遣唐使は、中国から貴重な紙をもち帰りました。しかし、高価な輸入品であったため、国内での生産が急務となりました。当時の朝廷は、紙作りの技術を奨励し、独自の製法が確立されていきました。

 

これにより、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)といった日本独自の原料を用いた、丈夫で美しい和紙が誕生しました。

和紙は、平安時代の宮廷文化を彩り、書物や絵画、さらには障子や襖など生活の様々な場面で活用されるようになりました。

 

日本の紙文化の発展

江戸時代になると、和紙の生産はさらに盛んになり、庶民にも広く普及しました。各地で特色ある和紙が作られ、書物だけでなく、提灯や傘など生活用品の材料としても欠かせないものとなりました。

 

現代においても、日本の伝統的な和紙作りは受け継がれており、その独特な風合いと耐久性は、美術品や工芸品として世界中で高く評価されています。

このように、日本は独自の進化を遂げ、紙文化を花開かせました。

 

 

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合わせて参照

日本・紙の歴史

日本・紙の歴史について知ろう

現代はスマホで情報を取り、電車の中でさえ、歩いているときでさえ、スマホをみています。

しかし、その歴史は、短く、スマホがなかった時代までは、文字を伝える手段は、圧倒的に「紙」でした。そんな、紙ですが、日本の紙文化は、長い歴史を通じて技術と芸術が交錯し、独自の進化を遂げてきました。

古代から現代に至るまで、紙は単なる記録手段を超え、文化を反映する重要な存在として発展しています。

今回は、日本の「紙」、その歴史について書いてみました。

 

 

 

 

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